時々ふと思い出すんです・・。
時々ふと考えてしまうんだよなぁ。
市役所辞めてよかったのかなって・・。
地域が疲弊していくの見てられない!、自分が何とかするんだ!って飛び出して、早いもので6ヶ月が経とうとしている。
やっぱり来たか・・・、この感情・・・、である。
今の商工会議所に就職してから本当にいい出会いに恵まれている。
駅前再開発が完了する4年後まで、商店街を何とか守っていこうと頑張っている商店街振興組合の理事長さん。
オシャレな着こなしを多治見から発信していきたいって頑張ってる私より3つ上のイケメンさん。
もみじを見て楽しむだけでなく食べて楽しむ商品を製造販売する年下のがんばり屋さん。
みんな私に刺激を与えてくれた、とっても大切な人達だ。しかも他にもそんな人が大勢いる。
私は、尊敬できる人に囲まれて、自分の力を育てながら、自分の個性を発揮して地域を活性化させていきたい。それが、実際、少しずつできてきているという実感がある。
それなのに、前の職場がちらついてしまう感情。これがなかなか嫌な感情だ。
そんな中、この前、岐阜で、とっても良い研修を受けた。地域活性化のために身につけておかないといけない考え方を教えてくれた先生と意気投合し、メールのやり取りをしている。
実は、この先生、元市役所の職員で(函館市だったかな・・)、今は株式会社日本経済研究所というところで働かれている。
くしくも、市役所を退職した理由が、私と同じだったので、意気投合をした。
その先生に時々市役所がちらつくんだよね~なんてメールをしたものだから、先生が返信をくれた。
なんてメールが返ってきた。このメールのおかげで私の市役所のちらつきは一切なくなった。この先生との出会いも本当にいい出会いとなった。
出会いと刺激がやっぱり人を成長させる。これからもいろんな人と出会おう。
おめでとう!ひしや。
「ひしやの挑戦」で紹介をした老舗文房具店のカフェへの挑戦。
この取り組みを事業計画におこし、その経費の一部を補填するため、国の事業承継補助金を申請したのだが、見事、採択された!!
自分のことのように嬉しい。。。
がんばりましたね、若社長。
只今、絶賛改装中。
レトロな階段もカフェの財産になりそうです。
文房具カフェ。本当に楽しみだ。
私も文房具が大好き。新しい機能性の文房具があったら、すぐに買ってしまう。消えるボールペンはもちろんのこと、伸び縮みする筆箱も、便利なインデックス付箋も、鮮やかな合紙も、仕事で使うとしても自前で買ってしまう。
しかも、自分が買った文房具は自慢したい。誰かに伝えて、使って実感してもらいたい。SNSと同じですよね。
文房具はデジタルとはちょっとそぐわない。アナログの良さがあなたですよ、文房具。なので、クチコミで広げましょう。その良さを。ひしや文具店というカフェで語りましょう。その文具の良さを。
オープンが待ち遠しい。早くオープンしてくれ~。予定は来年の2月。
多治見の灯屋という、呉服屋さんが始めた、これまた素敵なカフェで経営を支えた若社長の奥さんが、ひしや文具店カフェを切り盛りする。
モーニングに予定しているサンドイッチは絶対に美味しい。ここでモーニング食べて仕事に行くなんて生活ができたら最高だ。仕事終わりにコーヒー飲みながらしばしの時間を読書で過ごすなんてのもオツですね。
絶対に通いますよ。よろしくです。
しかし、その前に、補助金をうまく執行しなければ。がんばりましょう、未来のために!がんばりましょう、赤ん坊のために!(これまた、おめでとう、若社長!)
ひしやの挑戦
文房具の「ひしや」と言ったら、多治見では知らない人はいないのではないか。
特にご年配の方は、耳に馴染みすぎたお店の名前なのではないだろうか。
明治25年創業で、もう100年以上多治見で文房具を販売している超老舗だ。これだけ歴史があるお店でも、昨今の少子高齢化やネットショッピング、100円均一の台頭には頭を悩まされている。客数の減少に何とか打開策を打っていかなければならなかった。
そこで、大胆な挑戦をする!
文房具売り場の半分をカフェコーナーにしてしまう!
30代後半の若社長が、このチャレンジの背景を語る。
「文房具店はどうしても目的買いになってしまい、ついで買いが起きにくい。また、目的外でふらっと立ち寄るということがしにくいので、文房具を買いに来ない人でも気軽に来てくれるようなスペースが欲しかった。」
(↓改装風景)
この部分をカフェにするわけだが、ここでは単に飲食サービスを提供するだけではない。文具店内に豊富にある便箋を使ってその場で手紙をかけるコーナーや、万年筆の修理イベント、商店街の他店と連携したワークショップを開催する予定だ。
また、このひしやさん、小路町商店街に立地するお店。小路町商店街はお店がどんどんなくなってしまい、商店街のイベントを自分たちでできなくなってしまった商店街だ。
「ひしやが頑張って、周りのお店にもいい効果が波及すれば。」と若社長。商店街活性化の起爆剤になってほしい。
改装工事がスムーズに進めば、来年2月にはカフェをオープンできるとのこと。
この改装にあたって、私が補助金の申請サポートをさせていただいた。国の事業承継補助金という補助金で、事業を引き継いだ、あるいは引き継ぐ予定の事業者の取り組みを応援する補助金だ。昨年、若社長が先代から事業を引き継いだから申請できたわけだ。採択されれば、工事費用の2割強が補助される。
何とか採択してくれー!
北澤豪
もう15年も前の出来事。
青年海外協力隊としてシリアにいたとき、JICAがサッカー大会を開催した。シリアにはパレスチナ難民の自治区があり、国内に自治区が点在している。もちろん、そこには学校もあって、青年海外協力隊の体育教師隊員が協力をして、その学校の生徒達のサッカー部を集めて全国大会なるものを開催した。
その目玉として、北澤豪さんがシリアに来たのだ。
一緒にサッカーやったり、一緒に食事をしたり、夢のようなひと時だったなぁ。
今でも、北澤さんを時々テレビで拝見するが、元気そうでなにより。
青年海外協力隊の経験を思い出すと、北澤さんとふれあったことも必ず一緒についてくる。いい経験だった。
さて、このサッカー大会。2年間の活動期間中、年1回の計2回開催された。とっても盛り上がるいい大会だった。スポーツ、特にサッカーの力はすごい。ボールさえあればほぼどこでもできる。それで、やってる人も、見ている人も元気になる。つまり、地域が元気になるわけだ。
地域を元気にする方法はものすごくたくさんあるんだろう。企業を元気にするのはもちろんのこと、スポーツを根付かせること、福祉を豊かにすること、音楽に親しむ機会をつくること・・・。
いろんなことにチャレンジしていくぞ~!
そういえば、北澤さん、15年前のこのとき、日本のサッカー界で伸びる選手は誰?と聞いたら、長谷部選手と言っていたなぁ。本当に日本代表に欠かせない存在になった。才能もさることながら、努力の量が半端なかったそうだ。
私は地域活性化のキーパーソンになるという夢を持っている。こんなふうに誰かに見てもらって、本当にその夢を実現させて、高みを目指すなんてことができたら、なんて幸せなんだろう。とにかく頑張ろう。
地方活性化のアイデア
私は、地方活性化のアイデアを集めるため、事業構想という雑誌を定期購読をしている。これがまた、素晴らしい雑誌なんだ。
四国の片田舎で、創業者が集まるまちづくりをして、創業者の移住が絶えない仕掛けを作る人がいたり、赤字続きのローカル鉄道の社長に就任して、様々なイベントを企画して人気のローカル線に変えた方がいたり、そんな情報を惜しみなく掲載してくれている。
私が仕事で行き詰ったりした時に、この本を読むと視界がパーっと開ける。こんな人がいるなら、私ももう少しできるかな、とか、この人をセミナーとかで呼んだら地域の刺激につながるだろうな、とか、すごく勇気や発想が湧いてくる。
人と情報をつなげて地域活性化に貢献する!という私の誓った言葉の一助になる雑誌だ。
人口減、高齢化等、様々な問題が地域経済に影響を与える中、やっぱりAIではなく、ヒトのアイデアがそれを解決する。
がんばるぞ~。
青年海外協力隊
シリアって国ご存知ですか?
10数年前、私が青年海外協力隊で行ってた国なんです。
上の写真のような、ホスピタリティを大事にする国。真ん中が筆者(かんちゃん)です。巷では、内戦の国なんていう印象をお持ちの方も多いでしょう。
私がいた、2006年から2008年は全く平和な国だったんですよ~。
明るく頼もしいシリア人と約2年間過ごしてきて、本当に刺激になったし、
本当に自分の人生を考えることができた。
10年以上も前の写真だけど、シリアの農業試験場のスタッフと一緒に撮った写真。この経験がなければ、私は、今の自分がなかったと思う。誰に対しても自分の意見を述べ、間違っていることは違う!って叫ぶことは、この経験をしなければできなかったことだろう。
もし、今、青年海外協力隊で自分の力を試したいと思われる方がいれば、絶対にオススメをする。自分が何のために生まれてきたか、自分がどういう方向に舵をきって行きたいか、考えるには本当に大切な時間、経験だったと思う。
もしかしたら、青年海外協力隊は、日本人の研修の場ではない!!と思われる方もいるかもしれないが、日本に帰ってきて10数年働いて思う。上司、先輩のコピーになっ
ちゃダメだ。日本が活気を失っていく。
日本の社会は一部を除き、まだまだ閉鎖的な組織、社会であることが多い。その壁を壊したいなんて思う時があれば、応募してみよう、青年海外協力隊。
彼らと一緒に過ごした2年間は、私の宝物。今は、残念ながら、写真に写る人でも亡くなっている方もいるかも知れない。ただ、彼らとの思い出はたくさんある。絶対忘れたくない思いでだ。だからこそ、平和な世界を追求しなければいけないのだ。
話を日本の社会に戻そう。日本の社会の組織は、自由に、計画・実行・検証・改善のプロセスを踏むことはなかなか難しい。それが、青年海外協力隊では、誰でもそれを実行できる。その経験は、確実に自分のためになるし、日本の社会のためになるだろう。
是非、応募されたい。
そんな経験をした私は、今、シリアにいた当時の感情を思い出しながら、まちおこしをしている。今の仕事は、すごく当時との親和性が高い。
ヒトとヒト、情報とヒトをつなげることに一生懸命奔走しています!
銀座商店街
銀座商店街。どこの地域でも、銀座の名がついた商店街がある。それほど、昔は流行っていた商店街ばかりなんだろう。
私の地元にも銀座通り商店街という名の商店街がある。陶磁器の産地なので、毎月決まった給料日には、人でごった返すほどの盛況ぶりだったそう。ただ、そこも今では活気を失っている。
この写真は、岐阜は多治見の銀座商店街である。ご覧のとおりシャッター商店街になってしまっているが、毎月第3土曜日には、銀ぶら市というイベントを開催し、再び銀座を取り戻そうと頑張っている。この中心人物が、この商店街の八百屋さんなのだが、この方が味のある素晴らしい方だ。
現在69歳だが、あと20年はやる!と言っている。この方の生活は、朝3時に起きて、市場に仕入れに行って、帰って10時から19時ごろまで店をオープン。そんな生活を日曜日1日の休み以外、年間でほとんどとらずに頑張っている。
こんな方を見ると、自分もまだまだだなって本当に感じる。
ジャズライブも時々開催されるらしい。
このシャッターをすべて開けるには何が必要なんだろう??これからずっとその課題の答えを探しながら、日々の仕事に向かっていきます。